中学受験をする親としての心構えを学ぶ

こんにちは!元社畜ママのマリです。

さて、前回のブログでは、中学受験をする親としての心構えを、高濱正伸先生と宮本哲也先生の著書から学びました。また、色んな教育アドバイザーの講演会にも足を運びました。

まとめると…

①中学受験は合格がゴールじゃない

②中学受験は親が9割

③勉強の目的は飯が食える大人になる事

①中学受験は合格がゴールじゃない

これはめちゃくちゃ大事!!

私が説明会を聞いた塾は、合格がゴールになっていました(-_-;)

そりゃ塾としては合格させたら終わりなんでしょうけど…

偏差値や大学合格実績の高い学校に入る事が目的ではない。

受験をすることで一生の学び方を体得し、子供自身が成長する。

基礎学力、学習習慣力、自分を信じる力、目標を達成させる力。

勉強が好きで運動が苦手なうちの娘にとっては、中学受験をすることで大いに成長できると確信しました。

きっと運動が好きな子得意な子にとっては、少年野球とかバレエとかでこういう力を伸ばすのだと思います。音楽の子もいるし、ゲームの子もいる。ただ、うちの娘は勉強だっただけ。

この成長した結果得られるのが志望校合格であり、合格したらその中学での学びが始まる。

だから学校選びも、偏差値や合格実績などの数字だけでは選べない。

校風が本人に合っているのか。やりたいことが実現できるのか。

見極めるためには、パンフレットだけでなく実際に学校へ足を運ぶ必要があると判断。

小3から色んな学校のオープンキャンパスや体験授業に行きました。

②中学受験は親が9割

受験するのはまだ産まれて10年、自意識を持って5-6年ほどの未熟な子供。

まだ親の庇護下にいる中で子供が人生の選択をするのが中学受験。

どうしたって親の考えに左右されます。

親がぶれたら子供もぶれる。親が不安なら子供も不安。

まずは親がなぜ受験をするのかを明確に持つこと。

皆がするから。楽な人生を送らせたいから

そんな損得勘定から始める受験は本人のためになりませんよね。

もっというと、よそはよそ、うちはうちです。また、

うちの子には無理

というような、自分の子供の天井を決めるような考えや発言は絶対にNG。

ノミの天井というお話をご存知でしょうか?

ノミを飼育ケースで育てると、ノミのジャンプ力では飼育ケースの天井にたたきつけられる 

そのためノミは小さく飛ぶことを学びます。

そのまま飼育を続けると、飼育ケースから出したとしても、ノミは飼育ケースの天井以上に飛ぶことはできなくなっているのです。

つまり環境が子供の能力を伸ばしもするし、奪いもします。

親の普段の何気ない一言が、子供の天井になってしまうのです。

同じ理由で、受験なんて大変だね。勉強ばかりでかわいそう等の発言もNGです。

祖父母や親戚がよく言ってきますが完全に無視ですw

人生の選択を子供の目線で一緒に探してあげるのが親の役割。

たまに情報収集に躍起になって、まるで親自身が受験生になってしまうケースがあるそうです。

何事もですが、俯瞰で見る。客観視する。冷静になる。大事なことですよね。

うちは主人がその役割だったかもしれません。何せ受験反対だったので(-_-;)

親は先生ではない。親はサポートするのが役目。

10歳を過ぎると”つ離れ”といって、親からの自立が始まります。

9歳まではここのつといいますが、10歳からは”つ”がつきません。もとは落語用語で10人以上お客が入ることを意味するそうです。

ここで親がべたべたと世話を焼いたり干渉したりすると、子供の親離れは進みません。

完全に一人の人間として扱わないといけないのです。

そして高濱正伸先生曰く、この時期は外の師匠が必要になる。とのこと。

親でも親戚でも学校の先生でもない、外の師匠

それを見つけることで親も子供から自立できるという。

えぇ~それなら花まる学習塾入りたいよ~(´;ω;`) と思いましたが距離的に無理なのでした。

③勉強の目的は飯が食える大人になる事

勉強の目的とは何でしょうか?

知識を蓄える?いい大学に入る?国家公務員試験に受かる???

いいえ、勉強の目的は飯が食える大人になる事です。

勉強することで先ほどの基礎学力、学習習慣力、自分を信じる力、目標を達成させる力が身についていたら、知識の運用の仕方や仲間と協力して成し遂げることを中学高校大学で学べるはずです。

基礎学力がないのに知識の運用はできません。

AIだって莫大なデータをインプットされているから運用できるわけで。

今までは詰込み型の学習が多かったと思いますが、大学入試制度改革で詰込み型は使えなくなりました。

例えば英単語をいくら覚えていても、実際に英字新聞を読んで感想を言えなければ意味がないのです。

歴史の知識があったとしても、日露戦争で日本は本当に勝利したと言えるだろうかという疑問を議論しあえなければ、ただの日露戦争を知っている人になってしまいます。

私は、その議論ができる場所は私立中学なのかもしれないと思いました。

そこで切磋琢磨して、飯が食える大人になる。

そんなビジョンが浮かんだのでした。

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